R45の徒然(1)

通常、20歳で成人式を迎えてから、現役世代として社会に貢献できるのはおよそ50年間と考えられます。

今は高齢社会となり、70歳を過ぎてもバリバリ現役で活躍している方も多く見受けられますが、一般的に社会人と呼ばれる属性は20~70歳前後というのは疑いようのない事実です。

そのちょうど中間点、成人してから25年の「45歳前後」の年代というのは、多かれ少なかれ、誰もが自分の人生の分岐点に立ち、今後の生き方を選択、決定していく、一つの折り返し地点と呼ぶことができるでしょう。

僕自身も、1975年生まれの42歳。これまでの半生を振り返りつつ、今後の人生をいかに生きるかを模索する年代となりました。

このコラム、そして僕が提唱する「R45」プロジェクトでは、そんな45歳前後の世代にスポットを当て、これまで、そしてこれからの生き様を考える上での幅広い視座を提供していこうと考えています。

R45は、明日の自分をもっと輝かせたいと願う、夢見るオトナたちを全力で応援していきます。それが僕の選んだ「これから」のライフワークです。

僕らは氷河期世代と呼ばれた

世代を語る言葉はいつの時代も、独特の視点とちょっとした偏見を含みながら世の中に流通しています。

最近なら「ゆとり世代」「さとり世代」、僕らの親世代は「団塊の世代」、僕らよりも少し上の年代は「バブル世代」などと呼ばれていました。

そんな僕らはと言えば、学生生活を終えて社会に出る頃は不況の真っただ中。就職難でエントリーシートを数十、数百と企業に送り、延々と面接を繰り返すも新卒での就職が困難な状況から、「氷河期世代」「失われた世代」などと呼ばれてきました。

バブルの恩恵に与った明確な記憶もなく、日本の誇る電器産業や自動車産業も頭打ち、大手証券会社の倒産、成人自殺率の急増など、日本経済にとってはいわば「暗黒の時代」「失われた20年(30年)」という慢性的な不景気に見舞われた時代。それが僕らの歩んできた社会人としての半生の舞台でした。

個人的には、必要以上に世代論でモノゴトを括る姿勢は時として思考停止を生みやすいことから、あまり好ましいとは考えていません。ただ、僕らが生きてきた時代背景として、こうした状況があったことは見逃せない事実であり、だからこそ僕自身も、R45という形で敢えて同世代のオトナたちを応援していきたいと考えるに至ったわけです。

苦労するのはいつの時代も同じ

若いうちの苦労は買ってでもしろ、ということをよく言われます。僕も親からそう言い聞かされて育ってきました。

氷河期世代と呼ばれて、失われた20年、30年を現役世代として生きてきた。もちろん、それは自らわざわざ買ってきたわけではないのですが(苦笑)、だからといって、俺たちは苦労の味を知っている、最近の若者は苦労が足りない、バブル世代やゆとり世代に俺たちの苦悩を理解されてたまるか、みたいな偉そうなことは言えないし、言いたいと思ったこともありません。

若いうちの苦労は買ってでもしろ、という使い古された表現に意味はありません。正確には、若かろうと若くなかろうと、苦労はいつ何時でもするもの、と僕は考えます。生きている限り、何らかの苦労や苦心は伴うものです。僕らが10代、20代の頃に抱えていた苦悩と、今の10代、20代が抱えている苦悩は同じ物差しで比べられるものではないし、若き日の苦労自慢を誇らしげにするオトナに何の魅力もないことは火を見るより明らかでしょう。

それよりも、僕らは未来にフォーカスするべきなのです。

未来にフォーカスする人はキラキラしている

あの時、あの頃、もっとこういうことをしておけばよかった、どうして自分にはできなかったのだろう、あんなことするんじゃなかった…。過去を振り返ったり後悔したりすることは誰にでもあります。そして過去は誰にも変えることができません。

当たり前のことですが、自分が変えることができるのは「今、ここに在る自分」だけです。「今、ここに在る自分」の積み重ねが、未来を形づくります。

もちろん、過去の経験を踏まえて未来の計画を修正したり手を加えていくことは必要ですが、そこで大事なのは「感情を挟まない」ということなのではないでしょうか。人は感情で動く生き物です。そして感情は、時として人の思考を制御し支配さえするのです。過去の出来事や経験を語る際に、感情を交えてしまうと、これから描く未来という名のキャンバス地に、知らず知らずのうちに余計な「色」を加えてしまうことになりかねません。

自分の未来を語る時にこそ、感情の力はその効力を最大限に発揮します。過去はあくまでも客観的に、分析的な視点で振り返る。そして明日の自分をデザインする時に、初めて感情の力を使うことが肝要です。

未来を情熱的に、感情を交えて語ることのできる人はキラキラ輝いています。「キラキラしている人」「何かやってくれそうな人」に、人は魅かれ、ワクワクし、良い刺激や明日に向けた希望のメッセージを受け取ります。自分の未来にフォーカスすること、自分自身の未来に熱中することで、周囲の誰かにもその熱量が伝わって良い変化を生むのだとしたら、こんなに素晴らしいことはないのではないでしょうか。

今、ここで何を選択するか

未来にフォーカスすると言っても、将来の夢を語るだけの夢想家では何の意味もありません。もちろん、1年後、3年後、5年後…といった人生の中長期計画を立てることも大切ですが、それらは時流や環境に応じて変化しうることは含み置くべきです。3年後に年収3000万円を目指す、といった目標を持つことは良いですが、それが仮に1000万円止まりだったからといって計画が全てダメになったわけではないということですね。

重要なのは、3年後の年収3000万円という目標に対して、「今、ここで」どのような選択を取るかということです。未来にフォーカスするということは、実のところ「今、ここ」にフォーカスすることと同義であるとも言えます。

失敗するリスクはあるけれど、一つだけ目標に近づく可能性のある選択肢を見つけたのなら、迷うことなくそれをチョイスできるかどうか。どれだけ力強くリスクテイクできるか、という点が未来像の実現の成否を分けると言っても過言ではありません。

人生は選択の連続だ、とよく言われますが、「今、ここ」にある選択肢の中から何を選び取るか、その選択基準や優先順位の付け方をどう考えるか、ということが、自分の人生をコントロールし、デザインし、クリエイトする重要なポイントです。

僕らはソーシャルな人生を生きる

インターネットやソーシャルメディアの進歩によって、僕らは知らず知らずのうちに世界の様々な人と繋がりを持ち、お互いに影響を受け合いながら今を生きています。

もちろん、インターネットが存在しなかった時代でも、人は周囲の誰かとの繋がりや、誰かの影響によって自分の価値観や生き様を形成してきたわけですが、高度情報社会の中でその繋がりや影響の及ぶ範囲は、以前とは比べ物にならないほど拡大し多様性を増しています。

ダイバーシティ、すなわち多様性を認め合う社会づくり、ということが盛んに言われる一方で、あまりの急速な情報ネットワークの拡大に自分の立ち位置を見失ってしまったり、選択肢が多すぎて逆に何を選べばよいのかわからなくなってしまったりすることも少なくないのが、現代人としての率直な思いなのではないでしょうか。

ただ、それを悲観する必要はないと僕は考えます。様々な人との繋がり、出会い、多種多様な価値観は、間違いなく僕らの人生にとって新鮮な彩りを加えてくれる大切な要素です。言ってみれば、人生に深みや奥行きを生み出し、味わいを演出してくれるスパイスです。今後10年、20年と人生経験を積み重ねるごとに、それらは更に様々な刺激やインスピレーションをもたらしてくれることでしょう。

現代を生きる僕らは、一人で生きているわけではありません。いつの間にか誰かの影響を受け、誰かに影響を及ぼしながら、ソーシャルな人生を生きています。ソーシャルグッドという概念がある通り、僕らの善悪の基準さえもソーシャルな側面から評価される傾向にあり、今後もその潮流は続いていくでしょう。

それならば、自ら舵を取り、ソーシャルという大海原に漕ぎ出して、目一杯それを楽しんでしまおうではありませんか。大人も子供も、性別や年齢や職業なども、ソーシャルの時代においては大した意味を持ちません。どれだけ今を楽しみ、どれだけの人と関わり、どれだけの影響力を発揮できるかが、ソーシャルな人生の評価基準です。

大事なのは、キラキラしていること。つまり「今、ここ」にどれだけフォーカスできているか、ということに尽きます。

note(R45の徒然草)より転載

4月が終わると…?

そうです、4月が終わると…
 
 

5月がやってきます。知ってました??

こんばんは、後藤です。
つい先日、桜が咲いたかと思ったら、気付けば初夏の陽気。

時間は誰にでも公平に与えられているとよく言われますが、
その経過を四季という形で味わえる国に生まれて、
本当に良かったなと思います。

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